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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)3327号 判決

原告 中村フサ 外四名

被告 藤間豊

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

第一申立

一、原告

「被告は、原告等に対し一九六万三六〇〇円及び原告等に対し各一〇万円並びに右金員に対する昭和二九年四月一七日以降右金員完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求める。

二、被告

請求棄却の判決を求める。

第二主張

一  原告(請求原因)

(一)  原告フサの夫、他の原告等の実父にあたる訴外中村光国は、昭和二八年一月八日午前一時三〇分頃その自宅(原告等の肩書住居に同じ。)を出て、勤務先の中央区築地五丁目一番地所在東京中央市場小場株式会社へ向うため自転車に塔乗して千代田区紀尾井町四番地先道路の別紙〈省略〉図面〈d〉の地点に差しかかつたところ被告の飼育、占有していた雑種牡犬「チビ」が突然右図面(a)の地点から飛びだし、自転車上の光国の左後方からその脚部に跳びかかつたため、光国は自転車もろともに右図面の(b)の地点附近に転倒して右(b)の地点に在つた石杭に頭部及び顔面を打ちつけ、さらに(b)の地点の傍の溝中に転落するにいたつたが、その結果右光国は頭蓋底骨折を伴う頭部打撲傷を受け、そのため同月二六日同区富士見町二丁目三番地の三所在東京警察病院において満四三才をもつて死亡するにいたつた。

(二)  訴外亡光国は、死亡当時身体強健にして体内の諸機関にも何等の異状がなかつたから、満四三才の一般日本人男子の平均余命年数を基準とするときは、少くとも二四年の余命を有したものと考えられる。そして右訴外人の死亡当時の月収は、前示小場株式会社から支給を受けていた俸給二万二五〇〇円であり、余命年数の全期間を通算すると六四八万に達するが、右の収入を得るための必要経費を収入の三分の一と見積りこれを控除した残額四三二万円は、右訴外人が本件事故により失つた得べかりし利益である。よつて、右光国は、その死亡と同時に右の金額からホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した残額の一九六万三千六〇〇円の損害賠償請求権を前示雑種牡犬「チビ」の占有者たる被告に対して取得した。

(三)  訴外光国の死亡当時、原告フサは無職にして四四才、同レイ子は東京家政学院卒業後母フサを助けて家事に従事中であり一八才、同節子は東京家政学院一年在学中であつて一二才、同雅寿は番町小学校在学中で一〇才、同淑子も右の小学校に在学中で八才であつたが、訴外光国の死によつて中流程度の平穏な家庭から突如経済的、精神的支柱を奪われ、重大な精神的苦痛を受けるにいたつた。よつて、その慰藉料として被告に対し各一〇万円の支払を求めるとともに、訴外光国の死亡と同時に原告等が共同相続により取得した右訴外人の被告に対する前示損害賠償請求権一九六万三千六〇〇円並びに前示各金員に対する本件訴状送達の日の翌日たる昭和二九年四月一七日以降各金員完済にいたるまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告

(一)  答弁

(1)  請求原因(一)の事実中、被告が原告等主張の犬を飼育、占有していたことは認める、右の犬が原告等主張のごとく訴外中村光国を襲つたとの点は否認する、その他は不知。

(2)  請求原因(二)、(三)の事実はすべて不知。

(二)  抗弁

仮りに、訴外中村光国の死が被告の占有する犬「チビ」の襲撃により惹起されたもので、両者の間に相当因果関係があるとしても、被告には右チビの保管について過失がなかつたから、訴外光国の死亡による損害を賠償すべき責任はない。即ち、本件「チビ」は、性格温順にして被告家の家族及び近隣の人達から愛され、被告は未だかつて右チビの所業について他人から口情を申立てられたことがない。かような性質の犬ではあつたが被告はなお相当な注意をもつてこれを保管した。即ち、被告はその邸宅の北側及び東側をコンクリート塀をもつて、南側を竹垣をもつて、西側を生垣及び有刺鉄線をもつて囲い、本件「チビ」を繋留していないときにも自由に邸外に逸出することを防止し、かつ、女中木内やす子に命じて十分にこれを監守させていたのである。

三  原告(抗弁に対する答弁)

被告主張の仮定抗弁事実を否認する。本件「チビ」は性質狂暴であつて、昭和二八年四月以降通勤途上の訴外光国を屡々襲撃したため、右訴外人は通勤の道順を変えて被告方前道路の通行を避ける等その対策に苦慮した程であつた。「チビ」はかかる性質であつたのであるから、これを飼育する被告はその保管について特に注意をなすべきであつたのにかかわらずこれを怠り、右「チビ」を繋留することなく、被告方邸外に自由に出入するままに放置していた。

第三証拠

一  原告

甲第一号証ないし第四号証を提出し、証人岡田覚夫、結城昭三、横山実、落合吉男、森田ツネ、大内たき、藤間愛子、池内鉚、中村国三、藤間愛子の各証言、原告中村フサ(第一、二回)及び原告中村レイ子各本人訊問の結果並びに現場検証の結果を援用。乙号各証の成立を認める。

二  被告

乙第一、二号証を提出し、証人花沢良治、堀倉吉、木内やす子の各証言を援用。甲第三号証の成立は不知。その他の甲号各証の成立は認める。

三  裁判所

職権をもつて原告本人中村フサ(第三回)を訊問。

理由

(一)  (訴外亡中村光国死亡の経緯)

成立に争いのない甲第一号証の記載、証人岡田覚夫の証言、原告中村フサ(第一回ないし第三回)及び中村レイ子各本人訊問の結果を綜合すると、訴外亡中村光国は、生前中央区築地五丁目一番地所在東京中央市場小場株式会社に勤務し、一年を通じて午前一時頃ないし同二時頃の間に自転車に塔乗して自宅から出勤するのを常としていたが、昭和二九年一月八日も午前二時一五分前頃平常のごとく自転車に塔乗し円筒形懐中電燈を携帯して自宅を出発したところ、同日午前三時一五分頃顔面――とくに口辺――血まみれとなつて自宅に引返えしたので、右訴外人の妻原告フサ及び原告家にたまたま宿泊していた訴外岡田覚夫等において傷をあらためたところ上唇左側に相当の裂傷を認めたので、原告フサが訴外光国に附添い、直ちに千代田区富士見町二ノ三ノ二所在東京警察病院に入院し、引続き同所において治療を受けたが、漸次頭蓋底骨折の症状が著明となり、訴外光国は右骨折のため同月二六日死亡するにいたつた事実を認めることができ、右の認定を妨げる証拠はない。

(二)  (訴外亡中村光国負傷の経緯)

訴外亡中村光国は、昭和二九年一月二六日頭蓋底骨折のため死亡したこと前認定のとおりであるが、以下、右訴外人が右の傷害を受けるにいたつた経過について検討する。

(1)  証人岡田覚夫、結城昭三、横山実、落合吉男の各証言並びに原告中村フサ(第一、二回)及び中村レイ子各本人訊問の結果を綜合すると、

(イ)  訴外光国は、前認定のごとく毎日午前一時頃から同二時頃の間に自転車に塔乗して自宅を出て勤務先の前示東京中央市場小場株式会社へ通勤していたが、昭和二八年四月頃から時折通勤の途上紀尾井町巡査派出所(別紙図面参照)前道路において犬に吠えつかれることがある旨家人に訴へ、このことは原告家の話題となつていたが、訴外光国に同年一二月頃以降は殆んど毎度のごとく、件の犬に吠えつかれる旨家人に語りこれに苦慮していたこと。

(ロ)  訴外光国は、昭和二九年一月八日午前三時一五分頃負傷して帰宅するや最初に原告フサ及び前記訴外岡田覚夫に対し「とうとうあの犬にやられた。」、「松緑の家の前に堀があるだろう。あそこだ。」と語り、その後前示東京警察病院において死亡するまでの間意識の明瞭なる時に、原告フサ及びレイ子、訴外中村国三に対し断片的に、「犬畜生にやられた。」、「犬は交番の横の細い道から跳び出してきた。」、「犬が後から跳びついてきた。」、「犬に吠えつかれて倒れた。」、「堀に落ちて気絶して倒れていた。」、「あそこに悪い犬がいていつも気をつけていたがとうとうやられた。」等と語つたこと。

(ハ)  昭和二九年一月一〇日頃原告フサは、訴外中村国三とともに原告等の住居地を担当地域に持つ麹町四丁目巡査派出所へ赴き、たまたま同所に詰めていた結城昭三、落合吉男の両警察官に依頼し、ともに訴外光国に害を加えた犬を探し求めて、事故の現場と思われる紀尾井巡査派出所前道路に至つたが、その際別紙図面(b)点所在の石杭の根本附近の土に流血の跡のあることを原告フサにおいて現認したこと。

を認定するに足り、右の認定を覆えすに足る証拠はない。

(2)  以上認定の各事実に前掲原告中村フサ(第一、二回)及び中村レイ子各本人訊問の結果並びに現場検証の結果を綜合すると、訴外光国は、前認定のごとく、昭和二九年一月八日午前二時一五分前頃円筒形壊中電燈を携帯し自転車に塔乗して自宅を出た後、自宅前道路を南方に約二〇〇米進行し、赤坂離宮方面からの道路との合致点を右折し(この附近の道路は、すべてアスフワルト鋪装が施されている。)、進行方向に向つて、緩やかな勾配をなしている幅員約一一米の道路を約三〇米東進した後、さらに右折して弁慶橋方面に進行せんとした際、突然左後方紀尾井町巡査派出所附近から後記認定のごとく被告の占有にかかる雑種牡犬名称「チビ」が跳び出て左後方から自転車上の訴外光国の脚部に吠えながら跳びかかつたため同訴外人は狼狽して自転車の操縦を誤り、弁慶橋方面に通ずる幅員約一一米の道路の右端近くにそれて進み、別紙図面(b)の地点附近において自転車もろともに転倒し、その際右(b)点に設置してあつた高さ約〇、五五米、周囲(上部で)約〇、九米の石杭に頭部及び顔面を打ちつけ、さらに傍の溝の中に転落したが、その際外傷として上唇に二カ所の裂傷を左顔面から頭部にかけて打撲傷を受けたほか、内傷として頭蓋底骨折をも被つたことを推認することができ、右の事実認定を妨げる証拠は存在しない。

(三)  (訴外中村光国を襲つた犬の特定)

当裁判所は、前記のごとく訴外中村光国を襲つた犬は、同訴外人の負傷当時被告の飼育、占有していた雑種牡犬「チビ」であつたと認定する。以下にその理由を説示する。

(1)  訴外中村光国が昭和二八年四月頃より後夜間勤務先の東京中央市場小場株式会社への通勤途上紀尾井町巡査派出所前道路で一匹の犬に吠えつかれることがあり、同年一二月頃以降は殆んど毎度のごとく、件の犬に吠えつかれる旨を家人に語り、困惑していたことは前段認定のとおりであるところ、

(2)  原告中村フサ本人訊問(第一、二回)の結果によれば、訴外光国は、昭和二八年夏の二の日(二日、一二日、二二日のいずれかの日)の一日同訴外人の公休を利して妻の原告フサを伴い豊川稲荷神社に参詣しての帰途、前示事故の現場に近い被告家の前方(道路を中心に反対側)の歩道に添う水溜り附近の電柱の根本に「白地にコゲ茶の班点のある犬」を認めて、原告フサに対し、通勤の途中自分に吠えかかる犬には、右の犬である旨を語り、なお右の犬に携えていた菓子をあたえて「俺に吠えてくれるなよ。」と告げたことがあり、原告フサは本件事故にさきだつ約半年前訴外光国から直接同訴外人の悩みの種であつた犬を指示され、これを明確に現認していたことを認めるに足り、

(3)  昭和二九年一月八日午前三時一五分頃額面等に負傷して自宅に引返えした訴外光国は、最初に原告フサ等に対し「とうとうあの犬にやられた。」、「松緑の前に堀があるだろうあそこだ。」と語つたことは、前認定のとおりであり、

(4)  証人横山実、落合吉男、池内鉚の各証言、原告中村フサ(第一、二回)本人訊問の結果を綜合すると、原告フサは、かねて麹町四丁目巡査派出所詰の警察官落合幸男、結城昭三等に対し夫光国を襲つた犬と思われる「白地にコゲ茶の班点のある犬」の所有者を確認すべく、その調査を依頼してあつたが(前記(二)(1) (ロ)参照)、夫光国の葬儀も終えた後の昭和二九年二月初旬再び前記巡査派出所を訪れ、同所詰の横山実、落合吉男の両巡査とともに前記の毛色を目当てとして問題の犬を探し求め、まづ最初に事故の場所に近い訴外池内鉚方を訪れ、同家の飼育する雑種犬「ポチ」を認めたが、原告フサの探し求める犬でないことを確認し、さらに紀尾井町巡査派出所東横の細道を登つた地点にある池内某家住居前附近に原告のかねて探し求めていた「白地にコゲ茶の班点のある犬」を発見し、原告フサは「あの犬だ」「畜生喰い殺しやがつて。」と興奮して口外したのであるが、前示横山警察官が直ちに被告家に赴き留守居中の女中木内やす子について確かめたところ、被告の飼育する雑種牡犬「チビ」は被告の邸内におらず、その後前示「白地のコゲ茶の班点ある犬」はまさに被告の飼育する前記「チビ」であることを右横山警察官において確認したことを認定することができ、

(5)  証人藤間あい子、木内やす子、堀倉吉、池内鉚の各証言を綜合すると、被告は、昭和二八年から昭和二九年一月頃にかけ本件「チビ」ほか三匹の犬を飼育し、主として女中木内やす子にその世話をさせていたが、当時は犬小屋を設けてこれに入れ、あるいは繋留する方法等により前記の犬等をとくに注意して保管することなく、ことに本件「チビ」は昼間訴外池内鉚方附近あるいは被告宅前方の道路を狭んで位置する清水谷公園附近を自由に出歩き、夜間被告方の門扉を閉ぢた後にも屡々邸外に逸出していたことを確認することができ、

右の(2) 、(4) 、(5) の各事実認定を妨げる証拠はない。

以上掲記の(1) ないし(5) の事実を事柄の順序を追い、さらに全体を綜合して検討するとき、冒頭掲記のとおり、被告の飼育占有する雑種牡犬「チビ」が訴外中村光国を襲つたものと推断することができるものと考える。

(四)  (本件チビの襲撃と訴外中村光国の死亡、それによる損害との間の相当因果関係)

さて、民法第七一八条第一項の規定に基き、動物の占有者に対し、その動物の加えた損害の賠償を請求するについては、動物による加害行為と発生した損害との間にいわゆる相当因果関係が存することを要するものとなすこと、すでに今日の通説である。ここに相当因果関係とは、当該の加害行為が具体的場合において一定の結果を生じたのみにとどまらず、一般の場合においても当該の損害を生ずることを普通とするものであることを要し、たまたまその損害が生じたのみでは足らないものとなすこと縷説を要しないであろう。これを本件について考察するのに、損害発生の経過は、さきに認定した(前記(一)、(二)参照)とおり、年令満四三才、身体に何等の故障なき男子(右については原告中村フサ本人訊問(第一回)の結果により明らかである。)の訴外中村光国が昭和二九年一月八日午前二時頃自転車に塔乗して前認定の紀尾井町巡査派出所前道路に差しかかつた際、身長約三尺、肩高約一尺四寸テリヤ系雑種牡犬でとくに狂暴の性質とは認められない本件「チビ」(体格、種別、性質は、成立に争いのない甲第二号証の記載、証人花沢良治、木内やす子の証言によつて認めることができる。)が自転車上の訴外中村光国の脚部にその左後方から吠えながら跳びかかつたものであるが、自転車に塔乗して疾走中の前記光国が前記「チビ」の前記の行動のため自転車もろともに転倒し前段認定のごとき石杭に、頭部、顔面を打付け、頭蓋底骨折の至命傷を被りために死亡するにいたることは、これを日常の経験上普通に発生する結果とは認め難く、右の負傷はたまたま生じた結果であると認めるべき性質のものと考えざるを得ない。現に原告中村フサ本人訊問(第一、二回)の結果によれば、訴外光国は昭和二八年四月頃以来屡々本件「チビ」から略々同一の場所において同一の時刻頃に吠えつかれ、あるいは跳びかかられた事実を認め得るのであるが、その間特に負傷その他の事故が発生したことを認むべき証拠の存しない事実もまた、右の認定を裏付け得るであろう。即ち前示認定のごとき本件「チビ」の行為と訴外中村光国の負傷ひいてはその死亡による損害との間にはいわゆる相当因果関係が存しないものと認めざるを得ない。

(五)  (結語)

果して然らば、他の点について判断するまでもなく、原告等の本訴請求は失当として棄却を免れず、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 磯崎良誉)

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